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東京高等裁判所 平成5年(行ケ)165号 判決

神奈川県厚木市長谷398番地

原告

株式会社半導体エネルギー研究所

同代表者代表取締役

山崎舜平

同訴訟代理人弁理士

加茂裕邦

東京都千代田区霞が関3丁目4番3号

被告

特許庁長官 荒井寿光

同指定代理人

佐藤昭喜

今勝義

松本悟

花岡明子

吉野日出夫

関口博

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第1  当事者の求めた裁判

1  原告

「特許庁が昭和59年審判第21637号事件について平成5年8月16日にした審決を取り消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決

2  被告

主文と同旨の判決

第2  請求の原因

1  特許庁における手続の経緯

原告は、昭和55年6月25日、名称を「感光体」とする発明(以下「本願発明」という。)につき、特許出願(特願昭55-86801号)をしたが、昭和59年9月18日拒絶査定を受けたので、同年11月22日審判を請求した。特許庁は、この請求を昭和59年審判第21637号事件として審理し、平成4年3月19日出願公告(特公平4-15938号)をしたが、特許異議の申立てがあり、特許庁は、平成5年8月16日、特許異議の申立ては理由がある旨の決定とともに「本件審判の請求は、成り立たない。」との審決をし、その謄本は、同年9月8日原告に送達された。

2  本願発明の要旨

導電性基体および該導電性基体上に設けられた光導電体を有する感光体において、

前記導電性基体がアルミニュームまたはその化合物からなり、

前記光導電体が、導電性基体上に一体に設けられた非単結晶半導体または非単結晶半絶縁体の第1層と、第1層の上に一体に設けられた非単結晶半導体または非単結晶半絶縁体の第2層と、第2層上に一体に設けられた非単結晶半絶縁体または非単結晶絶縁体の第3層とを有し、

第2層が、珪素、窒素含有珪素、酸素含有珪素、または炭素含有珪素を主成分とし、真性または実質的に真性で、第3層を介して照射された光により電子及びホールを発生するようになっており、

第1層が、珪素、窒素含有珪素、酸素含有珪素、または炭素含有珪素を主成分とし且つホウ素またはインジュームが添加されて導電性基体にホールを排出しやすくなっており、

第3層が、窒素含有珪素または炭素含有珪素を主成分とし、表面に静電気を帯電すると共に、第2層で発生した電子と前記静電気の結合を可能とする厚さを有し、光が照射されない領域では表面に静電気の帯電を維持し且つ光が照射された領域では表面の静電気が前記電子により消滅することを特徴とする感光体。

3  審決の理由の要点

(1)  本願発明の要旨は、前項記載のとおりである。

(2)  これに対して、本願の出願の日前の他の出願であって、その出願後に出願公開された特願昭55-78058号(特開昭57-4053号公報参照)の願書に最初に添付した明細書及び図面(以下「先願明細書」という。)には、次の(い)ないし(と)の事項が記載されているものと認める。

(い)、「支持体と光導電層と、これらの間に設けられ、前記支持体側方向からの前記光導電層中へのキヤリアの注入を阻止する機能を有する障壁層とを有する光導電部材に於いて、前記光導電層と前記障壁層とがシリコンを母体とし、水素を含有するアモルフアス材料で構成されており、それらの層の界面領域に於いて空乏層が形成され、前記障壁層は、該障壁層に於ける少数キヤリアの極性と同極性のキヤリアの前記光導電層中への注入を阻止し得、前記少数キヤリアの極性と同極性のキヤリアが前記支持体側方向より前記空乏層に到達する確率が実質的に無視し得る程度の厚さで前記空乏層と前記支持体層との間に前記障壁層の領域が存在し、電磁波照射によって前記光導電層に於いて生ずるキヤリアの中前記障壁層に於ける多数キヤリアの極性と同極性のキヤリアを前記障壁層方向に移動させ得る様にした事を特徴とする光導電部材。」(甲第3号証の特許請求の範囲の項参照。)

なお、上記の「障壁層に於ける少数キヤリアの極性と同極性キヤリア」および「障壁層に於ける多数キヤリアの極性と同極性のキヤリア」は、障壁層が、次の(ろ)の〈1〉 P型a-Si;H…アクセプターのみを含むもの。或いは、ドナーとアクセプターとの両方を含み、アクセプターの濃度(Na)が高いもの。〈2〉 P+型a-Si;H…〈1〉のタイプに於いてアクセプターの濃度(Na)が高い、所謂P型不純物をヘビードープしたもの。のいずれかを採用した場合には、それぞれ「電子」および「ホール」を意味する記載であるものと認める。

(ろ)、「本発明に於いて、その目的を効果的に達成する為に……光導電層と障壁層とが積層されるには、各層が下記に示す半導体特性を有するa-Si;Hでの中から良好な組合せを選択して、構成される。

〈1〉 P型a-Si;H…アクセプターのみを含むもの。或いは、ドナーとアクセプターとの両方を含み、アクセプターの濃度(Na)が高いもの。

〈2〉 P+型a-Si;H…〈1〉のタイプに於いてアクセプターの濃度(Na)が高い、所謂P型不純物をヘビードープしたもの。

〈3〉 ……

〈4〉 n型a-Si;H…ドナーのみを含むもの。或いはドナーとアクセプターの両方を含み、ドナーの濃度(Nd)が高いもの。

〈5〉 ……

〈6〉 ……

〈7〉 i型a-Si;H・・・Na〓Nd〓0のもの又は、Na〓Ndのもの。

本発明に於いて、光導電層と障壁層とを構成するa-Si;Hの良好な組合せとしては下記第1表に示す例があげられる。

第1表

タイプ A B C D E F

光導電層 〈3〉 〈3〉 〈7〉 〈7〉 〈6〉 〈6〉

障壁層 〈5〉 〈4〉 〈1〉 〈2〉 〈2〉 〈3〉

これ等の良好な組合せ例に於いて、殊に、最適とされるのはタイプCとタイプDの組合せ例であり、この組合せ例の場合には、極めて優れた電子写真特性を有するので電子写真用像形成部材として適用させると最良の結果が得られる。(甲第3号証第3頁右上欄18行ないし同頁右下欄下から5行参照。)

(は)、「a-Si;H層をp型にするには、周期律表(「周期率表」は誤記と認める。)第Ⅲ族Aの元素;例えば、B、Al、Ga、In、Tl等が好適なものとして挙げられ、」(甲第3号証5頁右上欄11行ないし13行参照。)

(に)、〈1〉「支持体102としては、導電性でも電気性でも電気絶縁性であっても良い。導電性支持体としては、例えば、NiCr、ステンレス、Al、……等の金属又はこれ等の合金が挙げられる。」(甲第3号証5頁右下欄2行ないし6行参照。)

〈2〉なお、Alは感光体の導電性支持体として極めて普通に用いられているばかりか、ホウ素等が添加されている珪素を主成分とした非単結晶半導体を支持する導電性支持体としてAlを用いることは本出願前周知技術である(例えば、特開昭54-121743号公報の第6実施例参照。)ことを踏まえると、上記「Al」は、ホウ素等が添加されている珪素を主成分とした非単結晶半導体を支持する導電性支持体として適用しうるものとして開示した記載であると認める。

(ほ)、「NP方式の様な電子写真プロセスを適用するのであれば、表面被覆層205は、電気的絶縁性であって、帯電処理を受けた際の静電荷保持能が充分あって、ある程度以上の厚みがあることが要求されるが、例えば、カールソンプロセスの如き電子写真プロセスを適用するのであれば、静電像形成後の明部の電位は非常に小さいことが望ましいので表面被覆層205の厚さとしては非常に薄いことが要求される。」(甲第3号証6頁右上欄5行ないし13行)参照。)

なお、カールソンプロセスにおける電子写真プロセスにおいては、感光体の表面被覆層の表面にプラス静電気を帯電した後に、光を照射すると、光導電層で発生したキヤリアのうち電子が表面被覆層を電流として流れて前記プラス静電気と結合し該プラス静電気を消滅させるプロセスを有するものである。従って、カールソンプロセスにおける感光体の表面被覆層は光導電層で発生した電子とプラス静電気の結合を可能とする厚さを有することを要件とするものであり、上記「表面被覆層205の厚さとしては非常に薄いことが要求される。」はこのような要件を当然に開示する記載であるものと認める。

(へ)、〈1〉「表面被覆層205の形成材料として有効に使用されるものとして、その代表的なのは、ポリエチレンテレフタレート、……等の有機絶縁体、シリコン窒化物、シリコン酸化物等の無機絶縁体等が挙げられる。」(甲第3号証右上欄20行ないし左下欄12行参照。)

〈2〉なお、珪素を主成分とする非単結晶半導体を光導電層とした感光体において、表面被覆層を、この非単結晶半導体の形成時と同様な条件で形成するために非単結晶絶縁体となっていることが明らかな窒素含有珪素で構成することは周知(例えば、特開昭54-145537号(本訴における甲第5号証)12頁右上欄8行ないし11行参照。)であることからみて、上記「シリコン窒化物」は非単結晶絶縁体としての窒素含有珪素をも包含する記載であるものと認める。

(と)、「第2図

〈省略〉

201…電子写真用像形成部材

202…支持体

203…障壁層

204…光導電層

205…表面被覆層

206…空乏層 」(甲第3号証11頁、図面の簡単な説明の項及び図面参照。)

(3)  つまり、先願明細書には、

導電性支持体および該導電性支持体上に設けられた光導電体を有する光導電部材(電子写真用像形成部材)において、〔(い)、(と)参照。〕

前記導電性支持体がアルミニュームからなり、〔(に)参照。〕

前記光導電体が、導電性支持体上に一体に設けられたシリコンを母体とし、水素を含有するアモルファス材料の障壁層と、障壁層上に一体に設けられたシリコンを母体とし、水素を含有するアモルファス材料の光導電層と、障壁層と光導電層との間に形成される空乏層と、光導電層上に一体に設けられた非単結晶絶縁体の表面被覆層とを有し、〔(い)、(ろ)、(に)、(へ)、(と)参照。〕

光導電層が、i型a-Si;Hで、表面被覆層を介して照射された光により電子及びホールを発生するようになっており、〔(い)、(ろ)参照。〕

障壁層が、珪素を主成分とし且つホウ素またはインジュームが添加されて導電性基体にホールを排出しやすくなっており、〔(い)、(ろ)、(は)参照。〕

表面被覆層が、窒素含有珪素を主成分とし、表面に静電気を帯電すると共に、光導電層で発生した電子と前記静電気の結合を可能とする厚さを有し、光が照射されない領域では表面に静電気の帯電を維持し且つ光が照射された領域では表面の静電気が前記電子より消滅する〔(い)、(ほ)、(へ)参照。〕光導電部材(電子写真用像形成部材)、〔(い)、(と)参照〕

が記載されているものと認める。

(4)〈1〉  本願発明と先願明細書とを対比すると、本願発明の「導電性基体」、「感光体」、「非単結晶半導体」、「真性」は、先願明細書の「導電性支持体」、「光導電部材」、「シリコンを母体とし、水素を含有するアモルフアス材料」、「i型」に相当する。また、本願明細書中の「P-I接合」または「IP接合」は先願明細書の上記(ろ)の第1表に示すタイプCまたはDを採用した場合の「空乏層」に相当するものと認められるが、本願発明において当然に存在するものの、記載を省略したものと認める。

そして、本願発明同様に先願明細書の「空乏層」を省略すると、本願発明の「第1層」、「第2層」、「第3層」は、先願明細書の「障壁層」、「光導電層」、「表面被覆層」に相当するものと認める。

〈2〉  そこで、上記のことを前提として本願発明と先願発明とを対比すると、両者は、

導電性基体および該導電性基体上に設けられた光導電体を有する感光体において、

前記導電性基体がアルミニュームからなり、

前記光導電体が、導電性基体上に一体に設けられた非単結晶半導体の第1層と、第1層上に一体に設けられた非単結晶半導体の第2層と、第2層上に一体に設けられた非単結晶絶縁体の第3層とを有し、

第2層が、珪素を主成分とし、真性または実質的に真性で、第3層を介して照射された光により電子及びホールを発生するようになっており、

第1層が、珪素を主成分とし且つホウ素またはインジュームが添加されて導電性基体にホールを排出しやすくなっており、

第3層が、窒素含有珪素を主成分とし、表面に静電気を帯電すると共に、第2層で発生した電子と前記静電気の結合を可能とする厚さを有し、光が照射されない領域では表面に静電気の帯電を維持し且つ光が照射された領域では表面の静電気が前記電子により消滅することを特徴とする感光体、

である点で一致しているものと認める。

(5)  したがって、本願発明は先願明細書に記載された発明と同一であると認められ、しかも、本願発明の発明者が先願明細書に記載された発明の発明者と同一であるとも、また本願の出願の時に、その出願人が他の出願の出願人と同一であるとも認められないので、本願発明は、特許法29条の2第1項の規定により特許を受けることができない。

4  審決を取り消すべき事由

審決の理由の要点(1)は認める。

同(2)のうち、(い)、(ろ)、(は)、(に)、(ほ)、(へ)〈1〉、(と)は認め、その余は争う。

同(3)のうち、先願明細書に記載された光導電体が、「非単結晶絶縁体の表面被覆層」を有していること、及び、「表面被覆層が、窒素含有珪素を主成分と」することは争い、その余は認める。

同(4)〈1〉のうち、本願発明の「導電性基体」、「感光体」、「非単結晶半導体」、「真性」は、先願明細書の「導電性支持体」、「光導電部材」、「シリコンを母体とし、水素を含有するアモルフアス材料」、「i型」に相当することは認め、その余は争う。同(4)〈2〉のうち、両者は、導電性基体および該導電性基体上に設けられた光導電体を有する感光体において、前記導電性基体がアルミニュームからなり、前記光導電体が、導電性基体上に一体に設けられた非単結晶半導体の第1層と、第1層上に一体に設けられた非単結晶半導体の第2層と、第2層上に一体に設けられた第3層とを有し(第3層が非単結晶絶縁体であることは争う。)、第2層が、珪素を主成分とし、真性または実質的に真性で、第3層を介して照射された光により電子及びホールを発生するようになっており、第1層が、珪素を主成分とし且つホウ素またはインジュームが添加されて導電性基体にホールを排出しやすくなっていることは認め、その余は争う。

同(5)のうち、本願発明の発明者が先願明細書に記載された発明の発明者と同一でなく、また本願の出願の時に、その出願人が他の出願の出願人と同一でないことは認め、その余は争う。

審決は、先願明細書の記載事項の認定を誤り、又は本願発明の内容を誤認した結果、本願発明と先願明細書に記載された発明との一致点の認定を誤り、発明の同一性の判断を誤ったものであるから、違法として取り消されるべきである。

(1)  取消事由1(第3層について)

〈1〉 同一系材料の点

審決は、先願明細書に記載された発明の「表面被覆層が、窒素含有珪素を主成分とし」(甲第1号証12頁5行)、本願発明と先願明細書に記載された発明の両者は、「第3層が、窒素含有珪素を主成分とし、表面に静電気を帯電すると共に、第2層で発生した電子と前記静電気の結合を可能とする厚さを有し、光が照射されない領域では表面に静電気の帯電を維持し且つ光が照射された領域では表面の静電気が前記電子により消滅することを特徴とする感光体、である点で一致しているものと認める。」(同14頁5行ないし11行)と認定しているが、誤りである。

本願発明の要旨(特許請求の範囲)に明記しているとおり、本願発明は、第2層を珪素、窒素含有珪素、酸素含有珪素、または炭素含有珪素を主成分とする非単結晶半導体又は非単結晶半絶縁体で構成し、そして第3層を窒素含有珪素を主成分とする非単結晶半絶縁体又は非単結晶絶縁体で構成する点を必須とする。すなわち、本願発明の感光体では、第2層と第3層とが同一シリコン又はその化合物からなっている点を不可欠としている。

本願発明の感光体においては、上記構成を採用することにより、次の効果を得ることができる。

(a) 第2層で光により発生したキヤリアの一方の電子を第2層と第3層との界面で再結合させてしまうことなく表面にまで至らしめ、表面に存在している正の電荷と結合中和せしめることができる。

(b) 局在準位が少ない。

(c) 第3層が炭化珪素又は窒化珪素の硬い材料の使用により耐磨耗性を向上させる。

(d) 高速複写、極微小像の高いコントラストで複写を初めて可能とした。

これに対して、先願明細書には、本願発明における上記構成及びこの構成による効果については何も記載されておらず、先願明細書に記載された発明には、本願発明における技術的思想は存在しない。

すなわち、先願明細書には、「表面被覆層205の形成材料として有効に使用されるものとして、その代表的なのは、ポリエチレンテレフタレート、ポリカーボネート、ポリプロピレン、ポリ塩化ビニル、ポリ塩化ビニリデン、ポリビニルアルコール、ポリスチレン、ポリアミド、ポリ四弗化エチレン、ポリ三弗化塩化エチレン、ポリ弗化ビニル、ポリ弗化ビニリデン、六弗化プロピレンー四弗化エチレンコポリマー、三弗化エチレンー弗化ビニリデンコポリマー、ポリブテン、ポリビニルブチラール、ポリウレタン、ポリパラキシリレン等の有機絶縁体、シリコン窒化物、シリコン酸化物等の無機絶縁体等が挙げられる。」(甲第3号証6頁右上欄末行ないし左下欄12行)と記載され、18種類の有機絶縁体と2種類の無機絶縁体がただ羅列されているだけである。また、先願明細書には、実施例1から実施例6までの6個の実施例が記載されているが、表面被覆層205に相当するものを設けたものは実施例5だけであり、しかもこの実施例5では有機高分子であるポリカーボネートが用いられているにすぎない。その余の実施例では、表面被覆層205を設けた形跡すらない。

このように有機や無機の20個の絶縁体はすべて表面被覆層205の形成材料として全く同列に認識されているにすぎない。先願明細書では表面被覆層205はただ絶縁性を有すればよいというレベルのもので、それ以上の認識はないし、当業者にはこれ以上のことは何も分からない。

〈2〉 非晶質の点

審決は、「珪素を主成分とする非単結晶半導体を光導電層とした感光体において、表面被覆層を、この非単結晶半導体の形成時と同様な条件で形成するために非単結晶絶縁体となっていることが明らかな窒素含有珪素で構成することは周知(たとえば、特開昭54-145537号(本訴における甲第5号証)12頁右上欄8行ないし11行参照。)である」ことを理由として、先願明細書におけるシリコン窒化物は「非単結晶絶縁体としての窒素含有珪素をも包含する記載であるものと認める」(甲第1号証9頁17行ないし10頁7行)と認定し、さらに、先願明細書に記載された発明が「非単結晶絶縁体の表面被覆層とを有し」(同11頁15行)、両者が、「非単結晶絶縁体」(同13頁17行)の第3層を有する点で一致すると認定するが、誤りである。

(a) 本願発明の第3層は、特許請求の範囲に「非単結晶半絶縁体または非単結晶絶縁体」と記載されているように、窒化ケイ素にある六方晶系結晶、三方晶系結晶及び非晶質の3種類のうち、非晶質の窒化ケイ素だけを適用するものである。

(b) これに対し、先願明細書には、ただ「シリコン窒化物」と記載しているだけで、それ以外の記載はないから、その「シリコン窒化物」をどのような形で(結晶質としてか、非晶質としてか)、またどのような仕方で、表面被覆層205の形成材料として適用するのかすら開示していない。

前記のとおり、先願明細書には、実施例1から実施例6までの6個の実施例が記載されているが、表面被覆層205に相当するものを設けたのは唯一実施例5だけである。しかも、この実施例5では、無機材ではなく、有機高分子であるポリカーボネートが用いられているにすぎないが、この唯一実施例5にもただ「i型a-Si:H層上と15μ厚のポリカーボネートから成る電気絶縁層を形成して」(甲第3号証10頁右下欄2行ないし4行)と記載されているだけで、そのポリカーボネートによる層をどのようにして形成したのかすら記載されていない。

(c) また、先願明細書は、適用の仕方について、「これ等の合成樹脂又はセルロース誘導体はフィルム状とされて光導電層204上に貼合されても良く、又、それ等の塗布液を形成して、光導電層204上に塗布し、層形成しても良い。表面被覆205の層厚は、・・・先の10μという値は絶対的なものではない。」(甲第3号証6頁左下欄12行ないし右下欄7行)と記載されているだけで、これ以外は何も記載されていない。したがって、当業者には、先願明細書の上記記載により、せいぜい粉末状又は微細粉末状の窒化ケイ素を適当な合成樹脂等でフィルムにして貼付するか又はそれをバインダーに混合して塗布するのかもしれないという程度のことが想像できるだけである。

(d) 審決は、窒素含有珪素が非単結晶絶縁体となっていることが周知であることの根拠として特開昭54-145537号公報(甲第5号証)(12頁右上欄8行ないし11行)を指摘するが、この公報は、本願より半年前に公開され、しかも同公報における同指摘箇所にはただ同公報に係る出願発明の一実施例の一環としてたまたま記載されていただけのものであるから、先願明細書に記載のシリコン窒化物が非単結晶絶縁体となっていることが周知であったことの根拠とは到底なり得ない。

また、乙第1ないし第4号証は、先願明細書に記載のシリコン窒化物が非晶質であることが周知であることを裏付けるものではない。

乙第1及び第2号証では、スパッタリングにより各種化合物の被膜を作製し、そこに列挙された各種化合物のうちの一つとして窒化珪素が示されている。しかし、乙第1及び第2号証に記載の技術は先願発明とは異なる各種構成を有し、これを前提とするもので、しかもその窒化珪素が非晶質であるか否かさえ一切記載されていない。

乙第3号証は、CVD法によりSi3N4のアモルファスが得られる旨の記載があるが、例えば甲第7号証から明らかなとおり、窒化ケイ素には結晶質も非晶質もあり、しかもいずれも絶縁特性を有するものであるから、乙第3号証によって直ちに先願明細書に記載のシリコン窒化物は非晶質であったなどとは到底いえない。

乙第4号証は、「超硬高純度窒化珪素とその製造方法ならびにその製造装置」と題するものであるが、そこには結晶質(配向結晶質窒化珪素、微粒結晶質窒化珪素)のものも非結晶質(非晶質窒化珪素)のものも形成されており、しかも、これは、そのような超硬高純度窒化珪素を製造するというだけのものにすぎないから、乙第4号証によって直ちに先願明細書に記載のシリコン窒化物が非晶質であったなどとはいえない。

(2)  取消事由2(空乏層について)

審決は、「本願明細書中の「P-I接合」または「IP接合」は先願明細書の上記(ろ)の第1表に示すタイプCまたはDを採用した場合の「空乏層」に相当するものと認められるが、本願発明において当然に存在するものの、記載を省略したものと認める。」(甲第1号証12頁19行ないし13頁4行)と認定するが、誤りである。したがって、この誤った認定を前提とする「そして、本願発明同様に先願明細書の「空乏層」を省略すると、本願発明の「第1層」、「第2層」、「第3層」は、先願明細書の「障壁層」、「光導電層」、「表面被覆層」に相当するものと認める。」(同13頁5行ないし8行)との認定も誤りである。

先願明細書に記載された発明は、その特許請求の範囲に「それらの層の界面領域に於いて空乏層が形成され」と記載されていることから明らかなように、空乏層を設けることを必要不可欠としている。

これに対し、本願発明は、その特許請求の範囲から明らかなように、空乏層を必須の要件としていない。本願発明における第1層と第2層との間に空乏層がたまたま形成される場合があるとしても、本願発明においては空乏層を積極的に利用するものではない。

第3  請求の原因に対する認否及び反論

1  請求の原因1ないし3は認める。同4は争う。審決の認定、判断は正当であって、原告主張の誤りはない。

2  反論

(1)  取消事由1〈1〉(同一系材料の点)について

〈1〉 まず、原告が主張する効果のうち、(c)の効果は、「第3層に炭化珪素または窒化珪素の硬い材料の使用」による効果であり、また、(d)の効果は、「基体側近傍にIP接合を設けたこと」による効果であり(甲第2号証7欄8行ないし32行、36行ないし39行)、本願発明の第2層と第3層とが同一シリコン又はその化合物からなっているという構成による効果ではない。

〈2〉 原告の本願発明の第2層と第3層とが同一シリコン又はその化合物からなっているという主張の意味するところは、本願明細書の「もし、第2層と第3層とが異なる系であると、(例えば有機材料と無機材)界面には・・・表面での正の電荷との結合中和をすることができない。」(甲第2号証3欄35行ないし41行)との記載、及び「2つの層は、共に、珪素、珪素と窒素または炭素との化合物と、同じ種類の珪素系材料を用いている」(同7欄34行ないし36行)との記載からみて、第2層と第3層がシリコン又はその化合物として同一の系であるということにほかならない。

さて、先願明細書には、「前記光導電層と前記障壁層とがシリコンを母体とし、水素を含有するアモルフアス材料で構成されており、」(甲第3号証1頁左下欄8行ないし10行)、及び「表面被覆層205の形成材料として有効に使用されるものとして、その代表的なのは、ポリエチレンテレフタレート、・・・等の有機絶縁体、シリコン窒化物、シリコン酸化物等の無機絶縁体等が挙げられる。」(同6頁右上欄20行ないし左下欄12行)と記載されている。

ここで、先願明細書において、表面被覆層の無機絶縁体として具体的に記載されているのは「シリコン窒化物」、「シリコン酸化物」という、光導電層と同じ種類のシリコン系材料のみであり、シリコン系材料以外の他の種類の無機材料とすることは示されていないから、表面被覆層として無機材料を選択する場合には、必然的に同じ種類のシリコン系材料を選択することとなることは明らかである。

したがって、上記記載から、先願明細書には、「光導電層をアモルファスシリコンで形成し、表面被覆層をシリコン窒化物、シリコン酸化物という光導電層と同じ種類のシリコン系材料で形成する」という構成が記載されているということができる。

〈3〉 そして、先願明細書には、「表面被覆層205は、その所望される電気的特性を満足するのに加えて、光導電層204に化学的物理的に悪影響を与えないこと、光導電層204との電気的接触性及び接着性、更には耐湿性、耐磨耗性、クリーニング性等を考慮して形成される。」(甲第3号証6頁右上欄14行ないし19行)という前記した表面被覆層の形成材料を選択するときの考慮すべき事項が、表面被覆層に有効に使用される代表的な形成材料に関する記載の直前に記載されている。

こうしてみると、先願明細書における上記表面被覆層の形成材料を選択するときの考慮すべき事項の記載から、アモルファスシリコンと同じ種類のシリコン系材料である「シリコン窒化物」、「シリコン酸化物」の無機絶縁体が、表面被覆層の形成材料としての所望される電気的特性を満足するのに加えて、アモルファスシリコンで構成された光導電層に化学的物理的に悪影響を与えず、該光導電層との電気的接触性及び接着性がよく、更には耐湿性、耐磨耗性、クリーニング性等を考慮した上で、選ばれた表面被覆層の形成材料として挙げられていることは明らかである。

したがって、先願明細書に記載された発明は、本願発明と同一の構成であり、また本願発明と同一の効果を奏し、本願発明と同一の技術的意義についての認識を示しているものである。

(2)  取消事由1〈2〉(非晶質の点)について

〈1〉 まず、本願発明の第3層が「非晶質」であることによる本願発明の効果は、その本願明細書(甲第2号証)の発明の詳細な説明の欄には、何ら記載されていない。

したがって、非晶質であるとの構成を原告主張の効果に結び付けて本願発明に特有の「重要な技術的意義」であると主張することは、全く理由がない。

〈2〉 原告は、シリコン窒化物をどうような仕方で表面被覆層205の形成材料として適用するのかも分からない旨主張する。しかしながら、後述するように、光導電層上にシリコン窒化物からなる表面被覆層をプラズマ法で形成することは周知であるから、先願明細書に記載された発明においても、その周知の手段でシリコン窒化物を適用するものであることは、明らかである。

なお、先願明細書の「フィルム状とされて光導電層204上に貼合されても良く、又、それ等の塗布液を形成して、光導電層204上に塗布し、層形成しても良い。」との記載は、有機絶縁体を適用するときの仕方を記載しているものであり、無機絶縁体についての記載ではない。

また、光導電層上にシリコン窒化物からなる表面被覆層を形成する場合、粉末又は微細粉末状の窒化珪素を原料にするなどということは、技術常識では考えられず、甲第7号証にも、粉末状又は微細粉末状の窒化珪素から被覆層を形成することは全く記載されていない。

〈3〉 (a)光導電材層上にアモルファスの炭化珪素又は窒化珪素の被膜で形成した絶縁性透明保護膜が周知であること、また、(b)下層の光導電層のアモルファスシリコンが高温での焼鈍(アニーリング)により結晶化しないように表面被覆層の形成がされることから、表面被覆層のシリコン窒化物は、やはり「アモルファス」であると考えるのが、当該技術分野における技術常識であることからすると、先願明細書には、「光導電層がアモルファスシリコンで構成され、表面被覆層がアモルファスシリコン窒化物で構成された発明」が記載されているに等しいと考えるのが相当である。

(a)すなわち、乙第3号証は、昭和52年当時の半導体に関する技術常識を集大成したものであり、乙第4号証も昭和52年当時の特許公開公報であり、いずれも先願出願時の技術常識を示す文献である。この乙第3及び第4号証は、ともに、形成される窒化珪素の結晶状態が、製造時の容器内ガス圧力(mmHg)の数値の大小にかかわらず、一般的にその製造温度が低温であるときには非晶質(アモルファス)になり、その製造温度が高温であるときには結晶質となることを示している。

また、乙第3号証の記載から、スパッタリング法によれば、低い堆積温度で絶縁膜を形成できることが分かる。また、グロー放電法では、室温から300℃ぐらいの低い基板温度で絶縁物が得られるということが分かる。

乙第1及び第2号証には、「プラズマ法の一態様であるRFスパッタリングを採用して光導電層上に炭化珪素(炭素含有珪素)または窒化珪素(窒素含有珪素)の被膜で形成した絶縁性透明保護被膜」が記載されている。

これらの記載から、まず、感光体の表面被覆として、窒素含有珪素又は炭素含有珪素を主成分とする絶縁性保護膜を光導電材上に設けることが、先願の出願日の7年以上前に既に知られていたということが分かる。

そして、RFスパッタリング法、又はグロー放電法は、プラズマ法の一種であり、そのプラズマ法による堆積温度は低いことが前記乙第3号証から明らかであり、また、「低い堆積温度で形成された窒化珪素からなる絶縁膜は非晶質(非単結晶)となる」ことは、前記した乙第4号証から明らかであるから、乙第1及び第2号証に記載されている「RFスパッタリングを採用して光導電材層上に炭化珪素(炭素含有珪素)または窒化珪素(窒素含有珪素)の被膜で形成した絶縁性透明保護被膜」は、非晶質(アモルファス)であるということができる。

甲第5号証に記載されている「a-Si系光導電層」の形成時の製造条件は、基板温度が150℃であり、容器内ガス圧力が約0.75torrであることが分かるそして、「Si3N4からなる表面被覆層」が、a-Si系光導電層の形成に引き続いてa-Si系光導電層の形成時と同様の条件で形成されるのであるから、やはり「Si3N4からなる表面被覆層」の形成時の製造条件は、基板温度が150℃であり、容器内ガス圧力が約0.75torrであることが分かる。

以上のことから、甲第5号証に記載されているa-Si系光導電層上のSi3N4からなる表面被覆層は、グロー放電により形成されるa-Si系光導電層形成時と同様の条件で、引き続きグロー放電を行って表面被覆層が形成されるのであるから、基板温度が150℃という低い温度でのグロー放電法により層形成されることが分かる。

そうしてみると、甲第5号証に記載されている「Si3N4からなる表面被覆層」の形成時の基板温度は、前記考察により、低温の150℃であるから、形成された「Si3N4からなる表面被覆層」は、乙第3及び第4号証に記載された知見から、「非晶質のもの」(非単結晶絶縁体)となっていることは明らかである。

このように、乙第1号証、乙第2号証及び甲第5号証に記載の窒化珪素はアモルファスであるということができるから、「光導電材層上にアモルファスの炭化珪素または窒化珪素の被膜で形成した絶縁性透明保護膜は周知である」ということができる。そうすると、先願明細書に記載の「シリコン窒化物からなる表面被覆層」には、アモルファス(非単結晶)の窒素含有珪素の絶縁体が含まれるということができる。

(b) また、先願明細書においては、光導電層がアモルファスシリコンでできており、表面被覆層のシリコン窒化物を結晶性のものとするために、光導電層のアモルファスシリコンが結晶化してしまうような高温で表面被覆層を形成するなどということは技術常識としてはあり得ないことであるから、焼鈍(アニーリング)点からも、表面被覆層のシリコン窒化物(窒素含有珪素)がアモルファス(非単結晶)であることは、明らかである。

すなわち、甲第7号証及び乙第5号証から、非晶質の物質を高温で加熱又は焼鈍(アニーリング)すると、非晶質の物質が結晶化することは、このアモルファス固体の技術分野における技術常識であるということができる。つまり、下層のアモルファス固体の表面に一体的に上層の被覆層の固体を層形成する場合に、下層のアモルファス固体に対する高温度による結晶化という化学的物理的な悪影響を回避するためには、上層の被覆層の固体に対してだけではなく、下層のアモルファス固体に対してもアニーリングとなるような、高温度の加熱をしてはいけないということが、当該技術分野における技術常識である。

(3)  取消事由2について

本願発明は第1層と第2層とをP-I接合しているのであるから、本願発明においても、第1層と第2層との間の界面領域に「空乏層」が形成されていると考えるのが相当である。

したがって、この点の審決の認定に誤りはない。

第4  証拠

証拠関係は、本件記録中の書証目録記載のとおりであって、書証の成立はいずれも当事者間に争いがない。

理由

1  請求の原因1(特許庁における手続の経緯)、同2(本願発明の要旨)及び同3(審決の理由の要点)については、当事者間に争いがない。

そして、審決の理由の要点(2)(先願明細書の記載事項の認定)のうち、(い)、(ろ)、(は)、(に)、(ほ)、(へ)〈1〉、(と)、同(3)(先願明細書の記載事項の認定)のうち、先願明細書に記載された光導電体が、非単結晶絶縁体の表面被覆層を有していること、及び、表面被覆層が窒素含有珪素を主成分とすることを除く事実、同(4)(本願発明と先願明細書との対比)〈1〉のうち、本願発明の「導電性基体」、「感光体」、「非単結晶半導体」、「真性」は、先願明細書の「導電性支持体」、「光導電部材」、「シリコンを母体とし、水素を含有するアモルファス材料」、「i型」に相当すること、同(4)〈2〉のうち、両者は、導電性基体および該導電性基体上に設けられた光導電体を有する感光体において、前記導電性基体がアルミニュームからなり、前記光導電体が、導電性基体上に一体に設けられた非単結晶半導体の第1層と、第1層上に一体的に設けられた非単結晶半導体の第2層と、第2層上に一体に設けられた第3層とを有し、第2層が、珪素を主成分とし、真性または実質的に真性で、第3層を介して照射された光により電子及びホールを発生するようになっており、第1層が、珪素を主成分とし且つホウ素またはインジュームが添加されて導電性基体にホールを排出しやすくなっていること、同(5)(むすび)のうち、本願発明の発明者が先願明細書に記載された発明の発明者と同一でなく、また本願の出願の時に、その出願人が他の出願の出願人と同一でないことは、当事者間に争いがない。

2  そこで、原告主張の取消事由の当否について検討する。

(1)  取消事由1〈1〉(同一系材料の点)について

〈1〉  前記説示の本願発明の要旨(特許請求の範囲)によれば、本願発明は、「非単結晶半導体または非単結晶半絶縁体の第2層」と、「非単結晶半絶縁体または非単結晶絶縁体の第3層」と、第2層と第3層とが同一シリコン又はその化合物からなっている点を必須の要件としていることが認められる。

そして、前記説示のとおり、先願明細書には、「光導電層・・・がシリコンを母体とし、水素を含有するアモルファス材料で構成されており」(甲第3号証特許請求の範囲)、「表面被覆層205の形成材料として有効に使用されるものとして、その代表的なのは、ポリエチレンテレフタレート、……等の有機絶縁体、シリコン窒化物、シリコン酸化物等の無機絶縁体等が挙げられる。」(甲第3号証6頁右上欄20行ないし左下欄12行参照。)と記載されている。この記載によれば、光導電層の形成材料として水素含有アモルファスシリコンが示され、表面被覆層の形成材料としてシリコン窒化物が示されている。

そうすると、先願明細書には、第2層と第3層とが同一シリコン又はその化合物からなっているという本願発明と同一の構成が開示されていると認められ、その開示されたものは、本願発明と同一の作用効果を生ずるものと認められる。

〈2〉  原告は、先願明細書には、本願発明における上記構成による効果については何も記載されておらず、本願発明における技術的思想は存在しない旨主張する。

まず、本願発明の技術的思想につき検討すると、甲第2号証によれば、本願明細書には、「本発明の感光体では、第2層と第3層とが同一シリコンまたはその化合物からなっているため、第2層で光により発生したキャリアの一方の電子を第2層と第3層との界面で再結合させてしまうことなく表面にまで到らしめ、表面に存在している正の電荷と結合中和せしめることができた。

もし、第2層と第3層とが異なる系であると、(例えば有機材料と無機材)界面には多数の再結合中心が発生し、第2層で光により発生させた電子的界面での再結合中心を介してホールと再結合してしまうため、表面に充分電子をおし出すことができなくなり、表面での正の電荷との結合中和をすることができない。」(3欄29行ないし41行)と記載されていることが認められる。この記載によれば、本願発明は、再結合中心の発生を少なくし、また局在準位を少なくして、第2層で光により発生したキャリアの一方の電子を第2層と第3層との界面で再結合させてしまうことなく表面にまで至らしめ、表面に存在する正の電荷と結合中和せしめるため、第2層と第3層とを同じ種類の珪素系材料で構成することが示されていると認められる(なお、原告が主張するその余の効果のうち、(c)第3層が炭化珪素又は窒化珪素の硬い材料の使用により耐磨耗性を向上させるとの効果は、文字どおり、第3層に「炭化珪素または窒化珪素の硬い材料の使用による」(甲第2号証7欄36行、37行)効果であり、(d)高速複写、極微小像の高いコントラストで複写を初めて可能としたとの効果は、本願明細書(甲第2号証)の「基体側近傍にIP接合を設けたことにより、光照射がなされた半導体では、内部電界のためホールの裏面導体2へのドリフトが本発明の第1層を構成させない従来の場合に比べて10~103倍も速くすることができる。結果としてこの真性または実質的に真性の半導体1を3~10μm±0.5μmにすることにより、この第2層中での残存し得るホールを極めて早く除去し、電子のみを第2層と第3層との間に残存させることができる。このように早く、一方の電荷のみの状態に光照射がされた第2層を早くすることは、すなわち静電複写機としての高速複写を可能とする。また、残存し得るホールを早く除去することにより、電子の局在化を明確にするので、コントラストの明確な像の再現が可能となる。」(7欄18行ないし32行)との記載からすると、基体側近傍にIP接合を設けたこと」による効果であり、第2層と第3層とが同一シリコン又はその化合物からなるとの構成による効果とは認められない。)。

これに対し、先願明細書には、本願発明と異なる技術思想に基づき第2層と第3層とを同一シリコン又はその化合物とする構成を採用したことをうかがわせる記載はない。かえって、甲第3号証により認められる先願明細書中の「表面被覆層205は、その所望される電気的特性を満足するのに加えて、光導電層204に化学的物理的に悪影響を与えないこと、光導電層204と電気的接触性及び接着性、更には耐湿性、耐磨耗性、クリーニング性等を考慮して形成される。」(6頁右上欄14行ないし19行)との記載は、先願明細書に記載のものも、本願発明と同様の技術的思想に基づき上記構成を採用したことを示唆するものである。

したがって、原告主張の取消事由1〈1〉は理由がない。

(2)  取消事由1〈2〉(非晶質の点)について

〈1〉  本願発明の第3層は、特許請求の範囲に「非単結晶半絶縁体または非単結晶絶縁体」と記載されているように、非晶質で形成されているものである。

〈2〉  これに対し、先願明細書には、表面被覆層の形成材料である絶縁物の1つとしてシリコン窒化物が挙げられていることは、前記に説示のとおりであるが、それが結晶質か、非晶質か、また、どのような仕方で表面被覆層の形成材料として適用するのかについては先願明細書に明記されていないものの、上記「シリコン窒化物」は非単結晶絶縁体としての窒素含有珪素をも包含するものとして先願明細書に記載されているに等しいと認めるのが相当である。

(a) すなわち、審決が周知であることの例示とした甲第5号証(特開昭54-145537号公報)には、「第2図に示す装置を使い、以下の様にして電子写真用像形成部材を作成し、・・・画像出しを行った。」(11頁右下欄2行ないし4行)、「ヒーター9を点火してアルミニウム基板を均一に加熱して150℃に上昇させ、この温度を保った。」(同13行ないし15行)、「ボンベ12よりArガスを、ボンベ13よりSiH4ガスを堆積室6内に導入した。この時、メインバルブ29を調節して堆積室6内の真空度が約0.75torrに保持される様にした。」(12頁左上欄2行ないし6行)、「続いて、・・・高周波を印加してグロー放電を起し、アルミニウム基板上にa-Si層を形成した。」(同7行ないし10行)、「堆積室6内の真空度をa-Si系光導電層形成時と同様な値に保持されるようにした。続いてa-Si層形成時と同様の条件でグロー放電を行ってa-Si系光導電層上にSi3N4から成る表面被覆層を形成した。」(12頁右上欄6行ないし11行)と記載されていることが認められる。この記載によれば、甲第5号証においては、Si3N4からなる表面被覆層は、基板上にa-Si層を形成する場合と同様に、基板温度が150℃、容器内ガス圧力が0.75torrの条件で高周波のグロー放電を起こして形成されることが認められる。

(b) そして、乙第3号証(半導体ハンドブック編纂委員会編「半導体ハンドブック(第2版)」オーム社 昭和52年11月30日発行)の「7・2・1 Si窒化膜」の項には、「SiO2以外のCVD法による絶縁膜で、半導体工業において使われているものにSi窒化膜(Si3N4)がある。これの成長は、一般にはSiH4あるいはSiCl4とNH3とを反応させており、・・・成長温度は750~1150℃で、低温成長ではSi3N4の構造はアモルファスであるが、1100℃以上の高温成長になると結晶化が進む。」(289頁左欄12行ないし23行)と記載されていることが認められる。この記載によれば、CVD法により形成されるシリコン窒化膜の構造は、低温成長ではアモルファスであるが、1100℃以上の高温成長では結晶化が進むことが示されている。

乙第3号証の「7・3 PVD法」の項には、「絶縁膜のPVD法・・・には、スパッタリング法、・・・グロー放電法がある。スパッタリング法には、DC(直流)とRF(高周波)スパッタリングの二つがある。」(291頁左欄24行ないし28行)、「スパッタリング法の良さは堆積温度が低いこと、ターゲット材料を変えることで容易に各種の絶縁膜ができることである」(291頁右欄4行ないし6行)、「グロー放電法の特徴は、基板が室温から300℃ぐらいの低い温度で絶縁物が得られる点にあり」(同21行ないし23行)と記載されていることが認められる。この記載によれば、スパッタリング法によれば低い堆積温度で各種の絶縁膜が形成できること、また、グロー放電法では室温から300℃ぐらいの低い温度で絶縁物が得られることが示されている。

さらに、乙第4号証(特開昭52-96999号公報-昭和52年8月15日公開)には、第10図(別紙図面参照)とともに、「基体を1000~1900℃の温度範囲内に加熱保温し、吹付け管4の内管から窒素沈積源ガスを外管から珪素沈積源ガスまたは必要によりキャリアーガスをも添加して、基体上に吹き出させる。この際両沈積源ガスは基体上あるいはその近傍で互に接触、混合され、気相分解し、基体上に本発明の窒化珪素が沈積する。」(9頁右下欄2行ないし8行)、「前記方法・手順を用いて・・・窒化珪素を沈積せしめると、製造温度と炉内ガス圧力によって、第10図にその1例を示すような温度と容器内ガス圧力とで規定される領域の条件において配向結晶質窒化珪素微粒結晶質窒化珪素あるいは非晶質窒化珪素を沈積させて得ることができる。第10図の領域POは配向結晶質窒化珪素が製造される領域、領域FGは微粒結晶質窒化珪素が製造される領域、領域AMは非晶質窒化珪素が製造される領域である。また領域AM”の条件下では非晶質窒化珪素が沈積するが、その硬度が100g荷重でMVH2000kg/mm2以下であるような比較的硬度の低い非晶質窒化珪素が沈積する。」(10頁左上欄11行ないし右上欄6行)と記載されていることが認められる。この記載によれば、窒化珪素の製造時の容器内ガス圧力が0mmHgに近い真空度にある場合に、製造時温度がほぼ1000℃以下では比較的硬度の低い非晶質窒化珪素が沈積し(領域AM)、製造温度がほぼ1000ないし1525℃の範囲では非晶質窒化珪素が沈積し(領域AM)、製造時温度がほぼ1525ないし1550℃の範囲では微粒結晶質窒化珪素が沈積し(領域FG)、そして、製造時温度がほぼ1550℃以上の場合には結晶質窒化珪素が沈積する(領域PO)ということができる。

以上に説示の事実によれば、基板温度150℃、ガス圧0.75torr(mmHg)でグロー放電との条件で生成される甲第5号証のシリコン窒化物は、アモルファス(乙第3号証)ないし非晶質窒化珪素(乙第4号証)であることが甲第5号証に接する当業者にとって自明のことであると認められる。

(c) 次に、先願明細書に記載された発明の光導電層が「シリコンを母体とし、水素を含有するアモルファス材料で構成されて」いることは、前記説示のとおりであり、また、甲第5号証によれば、「又、基板温度は、a-Si層及び表面被覆層の形成時に、一定に保持しても良いし、又層の成長と共に上昇又は下降又は上下させても良い。」(11頁右上欄3行ないし6行)、「この様にすることによって、a-Si系光導電層及び表面被覆層の電気的・光学的性質を層厚方向に一定若しくは連続的に変化させることが出来る。」(同13行ないし16行)と記載されていることが認められ、この記載によれば、光導電層及び表面被覆層の電気的・光学的性質は層厚方向に不連続でないことが望ましいことが示唆されている。

そうすると、先願明細書に記載された「シリコン窒化物」についても、非単結晶絶縁体としての窒素含有珪素をも含有する記載であることが先願明細書に接する当業者にとって自明であると認められ、これと同旨の審決の認定に誤りはないと認められる。

なお、原告は、先願明細書に接する当業者は、「これ等の合成樹脂又はセルロース誘導体はフィルム状とされて光導電層204上に貼合されても良く、又、それ等の塗布液を形成して、光導電層204上に塗布し、層形成しても良い。表面被覆205の層厚は、・・・先の10μという値は絶対的なものではない。」と記載から、せいぜい粉末状又は微細粉末状の窒化ケイ素を適当な合成樹脂等でフィルムにして貼付するか又はそれをバインダーに混合して塗布するのかもしれないという程度のことが想像できるだけであると主張するが、上記先願明細書の記載の主語は、「これ等の合成樹脂又はセルロース誘導体」(甲第3号証6頁左下欄12行、13行)であることからすると、上記先願明細書の記載は、有機絶縁体を適用するときの仕方を記載しているものであり、無機絶縁体についての記載ではないと認められ、この点の原告の主張は採用できない。

(d) 原告は、甲第5号証のみから、表面被覆層を非単結晶絶縁体となっている窒素含有珪素で構成するものが周知であると解することはできない旨主張するけれども、乙第1ないし第4号証も併せ考えれば、審決認定の周知事項を認めることができるものである。また、原告は、乙第1ないし第4号証の記載は先願明細書に記載のシリコン窒化物が非晶質であることが周知であることを裏付けるものではないと主張するけれども、乙第1ないし第4号証に記載された製造時の温度条件を考慮しながら先願明細書の記載に接すれば、先願明細書に記載のシリコン窒化物が非晶質であることが自明であると認めることができるから、この点の原告の主張は採用できない。

(e) したがって、本願発明と先願明細書に記載された発明とが、「非単結晶絶縁体」の第3層を有する点で一致する等とした審決の認定に誤りはなく、原告主張の取消事由1〈2〉は理由がない。

(3)  取消事由2(空乏層)について

〈1〉  前記説示のとおり、先願明細書には、「本発明に於いて、光導電層と障壁層とを構成するa-Si;Hの良好な組合せとしては下記第1表に示す例があげられる。」として、第1表が記載され、さらに、「これ等の良好な組合せ例に於いて、殊に、最適とされるのはタイプCとタイプD組合せ例であり、この組合せ例の場合には、極めて優れた電子写真特性を有するので電子写真用像形成部材とし適用させると最良の結果が得られる。」と記載され、この記載に従って第1表のタイプC又はタイプDを採用すると、障壁層(第1層)をP層、光導電層(第2層)I層とするPI接合が得られることが認められる。

他方、前記説示のとおり、本願発明の特許請求の範囲には、「第1層が、珪素、窒素含有珪素、酸素含有珪素、または炭素含有珪素を主成分とし且つホウ素またはインジュームが添加されて」おり、「第2層が、珪素、窒素含有珪素、酸素含有珪素、または炭素含有珪素を主成分とし、真性または実質的に真性で」あると記載されている。この構成は、本願明細書(甲第2号証)の発明の詳細な説明の項に、「第2層が真性または実質的に真性であり、且つ第1層がP型用不純物であるホウ素またはインジュームを含む(3欄19行ないし21行)、「本発明では、光電効果を有する半導体または半絶縁体中にP-I接合を設け」(4欄40行、41行)と記載されているように、第1層をP型、第2層をI型とするPI接合が設けられていることを意味するものである。

そして、PI接合に空乏層が形成されることは技術常識であるから、本願発明のPI接合にも当然空乏層が形成されていると認められる。

そうすると、「本願明細書中の「P-I接合」または「IP接合」は先願明細書の上記(ろ)の第1表に示すタイプCまたはDを採用した場合の「空乏層」に相当するものと認められるが、本願発明において当然に存在するものの、記載を省略したものと認める。」等との審決の認定には誤りはない。

〈2〉  原告は、本願発明における第1層と第2層との間に空乏層がたまたま形成される場合があるとしても、本願発明においては空乏層を積極的に利用するものではない旨主張するけれども、本願発明の構成がPI接合を有し、その結果、空乏層が当然形成されるものであるから、原告の上記主張は採用できない。

〈3〉  したがって、原告主張の取消事由2は理由がない。

3  よって、原告の本訴請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法7条、民事訴訟法89条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 伊藤博 裁判官 濵崎浩一 裁判官 市川正巳)

〈省略〉

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